JACK BLUE OFFICIAL WEB SITE
SINCE 1987

Biography

1984年 / JACK BLUE 誕生前夜

某大学の音楽サークルに在籍していたsanoは、同じサークル所属のギタリストのやっていたバンドへ誘われて加入。そこで歌っていたのがshingyou。これが運命的な出会いなのか、腐れ縁の始まりなのか、「バカ」への入口だったのか・・・・。目黒LIVE STATION、千葉DANCING MOTHER'Sを拠点にライブ活動開始。

1987年 / JACK BLUE 活動開始

      

shingyou, sano, shue, yamanouchi

その後1987年、shingyouとsanoは新たなドラマー(SHUE/現在、様々なアーチストのレコーディングやツアーで活躍中)とギタリスト(yamanouchi)を探し出し、「JACK BLUE」を結成。"Jack Blue"というタイトルの曲をやっていたが、曲が先かバンド名が先か誰も覚えていない。とにかく、ゴロが良い感じというだけの理由で曲名かバンド名をつけたと思う。数曲出来始めると共に、再び目黒のライヴステーションを拠点に活動開始すると共に、初のデモ音源のレコーディングを行う。リズムトラックをスタジオで録った後、sanoの中学生時代からのバンド仲間でありこの道に引き込んだ(笑)永野氏(現:株式会社モビーディック代表)の自宅でダビング作業等をさせてもらう。自宅であり決してスタジオでは無い。夜中に大音量でギターアンプを鳴らし、近所のオヤジからドヤされたという事件は語り草となっている。 当時のサウンドは、AerosmithやHanoi Rocks等に影響を受けた、ややハードロック寄りのサウンドでアプローチだったが、ライブステーションのスタッフのブルースギタリストの助言によって泥臭さまっしぐらへ傾倒していった。

1988年 / サウンド面において現在の原型となる

  

shingyou, sano, kawada, tatsu

SHUEとymanouchiが脱退することとなり、現ギタリストのkawada、そしてドラマーのTATSUが加入し、現在のラインナップの母体となる。間もなくレコーディングをし、2曲入りのカセットテープとしてライブ会場にて配布。

1989年 / いか天出演

      

shingyou, sano, kawada, tatsu

放送開始間もない「いか天」に出演(ちなみに、ベストボーカル賞と在宅審査員賞なるものを受賞)し、高い評価を受けた。出演をきっかけに多方面からのオファーがあるが、結局は我が道を貫く事に。 その頃より、FacesやRolling Stones等に傾倒したドロ臭い、もろにブルースを基盤としたロックへズッポリとハマる。新宿ACB、本八幡ROUTE FOURTEENを拠点に精力的にライブ活動。


1990年 / 活動休止

  

GASOLINE ALLEY / shingyou, sano, okahiro, ken-ya

sanoとshingyouは、Okahiro(TYO他)、ken-yaとのGasoline Alley結成の為バンドを抜けることになり、JACKBLUE としての活動を一時休止する。1年弱の活動の後、デモテープ1本を残して、sanoとshingyouは脱退。

1991年 / 活動再開

  

shingyou, sano, kawada, hoshi

新ドラマーとしてhoshidaを迎えてJACK BLUEとして、新宿ACB、本八幡ROUTE FOURTEEN等で活動再開。

1992年 / 爆音時代

shingyou, sano, kawada, seiya

新ドラマーとしてseiya加入。同時にshingyouはギターも兼ね、ヘヴィなサウンド、そして20年以上にもおよぶJACK BLUEというバンドの中で最もやかましく大音量で演奏する時期となった。大型のギターアンプ、ベースアンプを毎回持ち込み、どれだけデカい音で鳴らすかというPAオペレーター泣かせのサウンドとなった時期。 インディーズ番組や各種コンテストにも積極的に参加し、本八幡ルートフォーティーン・渋谷ラ・ママ・吉祥寺曼荼羅等を中心に定期的にライブ活動。 同年、このメンバーとして始めてのレコーディングをし、2曲入りのカセットとしてプロモーション用に各所で配布し始める。また、ポリードールより発売されたオムニバスアルバム「Macy's Factory 2」に2曲参加。

1993年 / "Prodigal Son" 発売

      

shingyou, sano, kawada, seiya

初のフルアルバム「Prodigal Son」を、ルートフォーティーン主宰のレーベルより発売。当初はライヴレコーディングの予定であったが、作業を進めるうちにほとんどがスタジオレコーディングと化した。 本八幡ルートフォーティーン・渋谷ラ・ママ・吉祥寺曼荼羅、市川CLUB GIO等を中心に精力的にライブ活動。

1996年 / 再びヴォーカルへ専念

shingyou, sano, kawada, imamura ~ shingyou, sano, kawada, niwano

 seiyaが故郷へ戻ることになり、後任としてimamura(LIPNITZ)が一時参加。その後、何度も過去に対バンとして顔をあわせていたniwanoが加入。shingyouは再びボーカルへ専念することになり、バンドのサウンドも徐々に円熟味を増して変化していき、各所で精力的にライヴ活動を展開。

2000年 / セルフ・レコーディング

shingyou, sano, kawada

niwano脱退を機にアコースティックでのアプローチも開始。JACK BLUEとしてのライヴは、セッションドラマーを迎えて散発的に行うようになる。その間、リハーサルスタジオとsano宅において何度もレコーディングを重ねプロモーション用としての音源を録り貯め始める。最大限のシンプルさストレートさを残しつつ、ライブとは切り離したアレンジ、そして元々はキーボーディストであったsanoのピアノやオルガンもフィーチャーしながら、時間を気にせずチビチビのんびりとレコーディグ。又、各人多方面にわたりセッション活動。

2004年 / 再びライブシーンへ

      

shingyou, sano, kawada, hatsuya

新ドラマーとしてhatsuyaが加入。気分一新、過去の曲も掘り起こして、マイペースではあるが定期的にライブを再開。

2007年 / The 20th anniversary special

      

shingyou, sano, kawada, kase, hatsuya

二人目のギタリストとしてkaseが加入。5人編成として活動開始。7/29、本八幡ROUTE FOURTEENにて「The 20th anniversary special ~ RIP THIS JOINT !」と題して、バンド結成20周年記念ライブを行う。ゲストプレイヤーとして、okahiro, shue, imamuraらが参加。

2008年 / サポートドラマーを迎えてのスタート

      

shingyou, sano, kawada, kase → shingyou, sano, kawada, cozy, hoshi

hatsuya脱退に伴い、サポートドラマーを迎えてのスタート。元メンバーのhoshiがドラマーとして再加入。 kaseの脱退に伴い、cozyが加入。

2010年 / WILD DEAD FLOWER

      

shingyou, sano, kawada, cozy, hoshi

現メンバーによる初のレコーディング。"WILD DEAD FLOWER"を発売。

2011年 / ライブ活動中断~レコーディング

      

shingyou, sano, kawada, cozy, hoshi

shingyouの深刻な病気療養の為にライブ活動中断。入院直前にvocal録りを済ませてのレコーディング開始。

2012年 / The 25th anniversary special live ~ 馬の耳に念仏

      

shingyou, sano, kawada, cozy, hoshi

当初、7月に予定していた25周年ライブを12月に浅草橋BUNGAJANにて開催。ゲストには旧友オカヒロ、JACK BLUE 初代ドラマー酒井愁、旧知のボーカリスト藤重率いるCOUNT 9。又、このメンバーでの2作目になるアルバム"KICKS OFF"をリリース。

2013年 / LAZY SUNDAY ROCK SHOW

      

shingyou, sano, kawada, cozy, hoshi

拠点を浅草橋BUNGAJANに移し、主催イベント「LAZY SUNDAY ROCK SHOW」の定期開催を開始。
現在に至る(2015年)


 





【KICKS OFF】



【WILD DEAD FLOWER】